トップページ > 陶芸作家「阿部眞士」さんの取材:門司洋瓦の考える本物
今回は門司洋瓦代表取締役社長門司憲和の古くからの友人、陶芸作家「阿部眞士」さんの取材について公開致します。
取材は2回に分けて、福岡県北九州市八幡東区の窯元祐工窯「ゆうこうがま」にて行いました。
阿部さんには「民藝」や「磁器」についてなど、多くのお話をして頂きました。特に「民藝」については、所謂「民芸品」とは違うという事から知る事が出来ました。
なにぶん門外漢故に的外れな質問も多くしてしまいましたが、どの質問にも真摯にお答えになる姿がとても印象的でした。
(今回の取材については、知識や興味を持ち続けている方がお聞きする内容とは全く違うものと思われます。その道に詳しい方からすれば聞くべきポイントを聞いていないというと感じられるかとも思います。)
(また、ページの構成上、2回の取材に基づく内容をひとつにまとめています。)
陶歴より
- 昭和58年
- 九州産業大学・芸術学部写真学科卒業
- 瀧田項一先生・阿部祐工に師事
- 昭和63年
- 国展にて工芸部奨励賞を受賞
- 小倉井筒屋にて初個展 以後7回開催
- 平成元年
- 九州・山口陶磁器展にてRKB毎日賞を受賞
- 平成3年
- 国展にて新人賞を受賞
- 九州・山口陶磁器展にて朝日新聞社賞を受賞
- 第11回日本陶芸展に初入選 以後8回入選
- (第18回・19回日本陶芸展にて賞候補)
- 梅田阪急百貨店にて個展 以後隔年開催
- 銀座たくみにて個展 以後隔年開催
- 平成4年
- 福岡県陶芸作家協会員に推挙
- 平成5年
- 倉敷融民芸店にて個展 以後隔年開催
- 平成6年
- 第14回西日本陶芸展にて福岡県知事賞を受賞
- 平成7年
- 第15回西日本陶芸展にてサガテレビ賞を受賞
- 平成8年
- 第16回西日本陶芸展にて福岡県知事賞を受賞
- 平成11年
- 国画会準会員に推挙
- 韓国弘益大学にてワークショップに参加
- ソウルにて作品展に参加
- 平成12年
- オランダ・ベルギー・フランスにて
- 日本の美術展(5人展)に参加
- 平成16年
- 日本民芸館展にて日本民芸館賞を受賞
- 平成17年
- 倉敷民藝館にて日本民芸館賞記念展を開催
- 国画会会員に推挙
- 平成18年
- 福岡美術協会正会員に推挙
- 平成19年
- 九州国立博物館にて西日本陶芸選抜展に参加
愛媛民芸館・神戸阪急・岡山天満屋・広島福屋ほか全国各地で個展
工房(祐工窯) 北九州市八幡東区河内2丁目2番23号
- タイトルをクリックすると各トピックに移動します。
- 1, 磁器に惹かれた事について
- 2, 磁器は薄く白いものではない
- 3, 器の模様
- 4, 阿部さんにとっての民藝とは?
- 5, 現代において民藝をどのように捉えるか
- 6, 「民藝」と「民芸的」
磁器に惹かれた事について
質問
陶器にひかれていた阿部さんが「磁器は焼き物ではないと思っていた」から「磁器に惹かれた」に変わったという事についてのお話が以前の取材の記事にあります。このことについて教えて下さい。
阿部さん
それは磁器の本質が見えたからですね。
ちなみに磁器というのは1600年前後に秀吉の時代に日本に入ってきて広まったと文献にあります。その後有田で泉山陶石というものが見つかった。この陶石が見つかるまで磁器は焼けなかったという事です。
磁器は薄く白いものではない
質問
磁器といえば高温で焼き、薄いものが出来るといった事を耳にします。
阿部さん
薄くて白い、また高温で焼くというのが磁器の特徴だといった通説がありますが、それは全くの出鱈目です。例えば、今この部屋にあるものを見て下さい。薄っぺらくないでしょう。また陶器よりも低い温度で焼かれたものです。それでもしっかり焼けてしまうんです。
質問
では、そういった不正確な情報が通説としてどうして広まったのでしょうか。
阿部さん
工業製品(の磁器)がその様な製法だからじゃないでしょうか。工業製品(の磁器)が薄く軽く、型を用い圧縮して造る訳です。
自分の場合は1260℃くらい。陶器で高い温度で焼いていた頃は1300℃くらいでした。磁器の方が低い温度で焼いている訳です。
器の模様
質問
磁器について、特に模様や文様のあるものと無地のものがあります。作り手の方ではなく、器を見る側にとっても受け取り方や感じ方が違うように思います。
阿部さん
自分は模様や絵があっても良いと思います。この場所に置いてあるものを見ても全てが無地という訳ではない。要素が増える(絵や模様)という事については、作る側も考えるべきポイントかもしれません。
阿部さんにとっての民藝とは?
質問
民藝とは阿部さんにとってどのようなものとして捉えていらっしゃる対象なのでしょうか。かくあるべきというか、こういったものだという事についてです。
阿部さん
それが根底にあるんですよ。
7、80年前の昔に「民藝」という言葉が出来た時は今とは事情が違う訳ですよね。物価も人件費も常識もなにもかも。
「民藝」が生まれるまでは、貴族工芸っていうのかな。それが悪いと言っている訳でないがお金をかけて造った工芸。
「民芸運動」で末端の職人達が無の中で造っていった「使う道具」の中に良いものがあると認められるようになった。
焼き物は道具なんですよ。貴族工芸も道具なんですけど、末端の工芸の中に美しいものがある。
阿部さん
例えば、日本から浮世絵が生まれ認められるまでは、例えればブロマイドの様に思われていた。それが外国に渡って海外の人たちが「これは素晴らしい」と評価した。
そういった様に、柳宗悦が民芸運動の中で美を見つけた訳です。それまで見向きもされなかったものに。それらの中では、現在億を超える額で評価されているものもある。国宝にはなれないけれども。
そして民藝は非常に多岐にわたる。代表的なもので言えば「李朝」が挙げられるけれど、それ以外にも非常に沢山あります。それについては日本民藝館の事を是非調べてみて下さい。
色々な側面があるけれども、民藝は近代工芸の祖の様なものと捉えています。
現代において民藝をどのように捉えるか
質問
柳宗悦が提唱した無名の職人による民衆的美術工芸の美には多くの形容表現がある事を知りました。
挙げると
「用の美」「無名の工人の作になる日用雑器」「無銘品」「実用品」「伝統的」「非個性的」「安価」「簡素」「健康」などがあるという事です。
勿論今挙げた以外にも多くの形容表現があります。ですが、現在においてそれらを全て矛盾が無く内包したものが「民藝」であると捉えるのは難しいように思います。
これについてどの様にお考えですか?
阿部さん
今挙げたものの中で、「無銘品」「非個性的」「安価」というのは現代においては無理です。
何故かと言うと、これらを民藝の性格として含めてしまうと現代の作家が生活出来ない。あくまでも現代の職業作家としての生活を考えると、「民芸運動」の時代と、今とは「時代が違う」という事に尽きるでしょう。
ただ、「安価」であるという事の否定は「高額」であるという事を言っている訳ではなく、職業作家が生きていくために必要な経費などが反映されるという事です。
「民藝」と「民芸的」
質問
民芸運動を知り、何冊かの書籍を読み、またインターネット上での記述などを探したりしました。結果、自分が何も考えずに受け入れていた「民芸的」なるものが、柳宗悦が提唱した「民藝」とは別のものという事を理解しました。
また、知るきっかけが無ければ本来の「民藝」を知る事がないままだったかと思いますし、世の中の大半の方はそうなのではないかと思います。
「民藝」とは世間一般で広く認知されている「民芸的」とは違うという事が、今後正しく知られるようになる事はないのでしょうか?
阿部さん
以前には、正しく知ってもらう為に協会(日本民藝協会)が認めたものにステッカーをというアイデアもあったが、結局広まりませんでした。なかなかそれは難しい事でしょう。
今はそういった試みは無いのではと思います。
日本民藝館とは
質問
阿部さんの中で日本民藝館とはどういった場所ですか?
阿部さん
特別な場所。これにつきます。特別な場所で特別な目標。そういうことです。
写真は右が日本民芸館展の日本民藝館賞の賞状
左が日本民芸館展奨励賞の賞状
目を惹く綺麗な賞状です。
作品展示室入り口右手より
入り口から入って右側から。お話は右手前のテーブルでお伺いしました。
入り口から最初に見えるコーヒーカップ
一度模様に目がいくとずっと見てしまいました。
こちらも入り口から最初に見えるコーヒーカップ
薄い・硬質とは逆の質感があります。
日本民藝協会に送って頂いた「民藝」
阿部さんからも一冊頂き二冊手元に残りました。
あとがき
「民藝って知っていますか?」
「民芸って民芸ですよね」
ここから話は始まりました。予想すらしていなかった阿部さんとのお話の最初から、不勉強を痛感致しました。ですので、民藝について勉強をして出直すことになりました。
民藝についてはざっくりですが、以下の様なお話を元に質問をさせて頂きました。
民芸運動(みんげいうんどう)とは、1926年(大正15年)、「日本民芸美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。
21世紀の現在でも活動が続けられている。
日本民藝協会の発行されている書籍「民藝」で「特集 磁器の仕事」という内容だったので送って頂く様にお願いしましたとお話したところ、阿部さんも寄稿されたという事で一冊頂きました。
その数日後郵送で届いたので手元に2冊あるのですが、阿部さんの書かれた「二級品の材料で一級品を造れ」という記事を何度も読み返しました。
何故この言葉を選び使うのかという事について、明確な理由や根拠のある方の言葉は「強い」という感覚を肌に感じます。お話を聞いている時にも、書かれた文章を読んでいる時にも同じ事を感じました。
また、人の手で造るものに特別な強い思いを持っていると感じました。