トップページ > 田川市 田中呉服店 田中社長取材:門司洋瓦の考える本物

今回は田川市伊田町の田中呉服店 田中社長よりお話をお伺いしました。
急な取材の申し入れにも関わらず快くお時間を割いていただき、創業からのお話、着物へのこだわりなどお聞きしました。
非常に説得力のあるお話の連続です。是非、最後まで楽しんでお読みいただければと思います。

- タイトルをクリックすると各トピックに移動します。
- 1, 田中呉服店創業
- 2, 二代目半
- 3, 時代とアプローチの変化
- 4, 日本人に似合うのはやはり着物
- 5, 大事な節目にはやはり着物
- 6, 人間だけは簡易包装にならないように
田中呉服店創業
質問:田中呉服店さんの創業の頃についてのお話からお聞きさせてください。
田中社長
戦後物の無い時代に古着屋でスタートしました。今で言えばリサイクルショップの走りでしょう。戦後始めて、それが初代の創業スタートという事になりますよね。
質問
こちらの場所(田川)でですか?
田中社長
いえ、最初は直方でした。
戦後なので、今から60年以上前ですよね。
二代目半とは
質問
ちなみに社長は何代目でいらっしゃいますか?
田中社長
僕ね、今二代目半なんですよ。
質問
二代目半ですか?
田中社長
半というのはですね。初代と二代目がほぼ同時期にスタートさせたから、僕は初代も二代目も知っているんですね。正確には三代目だけども、自称二代目半なんですよ。それはどうなんだという意見があっても、二代目半だと思ってます。
創業者の苦労を知らない三代目って物凄く多いんですよ。だけど、僕は創業者と親父がスタートした時点の状況をよく覚えていますね。だから初代の苦労を知らないのが三代目とするならば、僕は半分知っていると。なので二代目半を自称してます。
質問
社長はおいくつの時に田中呉服店を継がれたのですか?
田中社長
自分が23歳の時ですね。
質問
それは自然な流れでそうなったのですか?
田中社長
高校の卒業式の前日に親父から「呉服屋するのか、しないのか。どうするんか。」と訊かれたから、「する」と。そこで決定したという事ですね。
「じゃあ京都に丁稚に行けと」そう親父に言われて、京都に丁稚奉公に行きました。そして京都では6年修行しました。
質問
呉服屋を継ぐ事については元々心に決めていらっしゃったのですか?
田中社長
小さい頃からしなければならないのだろうという意識はありましたね。親父とあんまり口を聞いていなかった時期もありますよね。それで「どうするんか」と親父が言ってくれて、「するなら丁稚に行け」と、「しないならどっかに出て行って仕事をせえ、どっちか?」と言うんですね。
質問
唐突な生きる道の選択ですね
田中社長
全てが唐突ですよね。今決めろって言うんですから。
質問
修行を積まれて戻って来られてから、先代のお仕事が違って見えましたか?
田中社長
全く別物として感じるようになりました。それは相当な違いがありました。元々あまり真面目な子供じゃなかったから、丁稚奉公という選択をせざるを得んやったと思うんですね。他人の飯を食えと。掃除洗濯、車を磨き、庭の掃除、そういうのをしてこいという事ですね。
当時は丁稚の姿をテレビのドラマで良く見たんですよ。なのでこんな恐ろしいところに入れられるのかと恐怖で震えてました。でも実際は違いました。ちゃんとお金貰えましたし。(笑
質問
創業当時はリサイクルやリユースという事でした、そこからの変化について教えて下さい。
田中社長
戦後の復興に伴って、需要はもう当時はうなぎのぼりだったでしょう。何でもよく売れた時代ですよね。僕が実際に体験した訳ではないですけど。
それによって着物ブームが来る訳ですよ。第一次着物ブーム。それに乗っかったんでしょうね。
新興の呉服屋さんってのはその頃、物凄く増えたと思いますよ。それに加えて炭鉱、産炭地(のエリア)ですから、石炭の需要が人を呼びますよね。当時は物凄い活気があった。その様な背景もあって創業した訳です。

田中呉服店さん二階にて
時代とアプローチの変化
質問
着物のご商売というと長いお付き合いをするイメージですが実際はどうですか?
田中社長
お客様とは何代も付き合ってますね。三代目という事もあって、「あなたのお祖母ちゃんから着物を買ったのよ」という方がお孫さんを連れてくる事も多くあります。お話してみたらお孫さんが自分と同い年くらいだったという事もありました。孫同士ですね。
質問
呉服店を継がれて、継承した部分と変える必要があった部分があるかと思います。
田中社長
そうですね。私が京都から帰ってきた当初は、まだお客さんの通行量・賑わいが沢山ありました。だから自然とお客さんが入ってきて、売れている時代だった。
言ってみれば旧態依然とした商売で良かった訳です。待ちの商売。店に居ればお客さんが来た時代です。
ところが、そこから5年もするとだんだん町に、商店街に活気が無くなってくる。そして今度はこちらからお客さんのところに訪問しなければいけなくなった訳です。
御用聞きでもなんでも良いからと先ず訪問する。アフターサービスやクリーニングなどでもお客さんの家に訪問するような形態に変わってきましたね。
質問
玄関先で着物をお見せする様なイメージでしょうか。
田中社長
全くそのとおりですね。需要を掘り起こすために、呉服屋がお客さんに対して積極的にコミュニケーションを取ろうと努力し始めた時期だと言えます。
質問
時代の変化をまさに肌で感じる様な感覚なのだなと想像します
田中社長
変化が如実でしょう。そしてこの業界は衰退していく一方の産業なんですよね。最盛期は一兆円産業だったんですよね。今では随分と下がってしまいました。
信頼してもらう為の大事な部分
質問
呉服店を辞められる方もいらっしゃれば、田中呉服店さんの様に生き抜いてこられたお店もあります。その違いは何から来るのでしょうか。
田中社長
それはその方に合った着物をお見立てする技術ですね。これはお客さんの好みを無視してという事ではなく、お客さんが知らない似合うもの、「私は黒しか嫌だ」と言っていた人が、帰りに白を買っているみたいなね。(知らなかった良さに)気が付いたと。
「ここの呉服屋さんに来て教えてもらったわ」という部分については絶対に外したくないんですよ。「こいつわかってるな」という部分を、お客さんに絶対に思ってもらうという意識ですね。
質問
信頼関係ですね
田中社長
信頼してもらう為の大事な部分ですね。「あいつに聞いてみよう」「あの呉服屋に相談してみよう」と思っていただけるかどうか。それがファーストコンタクトにおいて非常に大事です。それについては家内も僕も物凄く意識していますよ。
日本人に似合うのはやはり着物
質問
スタートからこれまでの経緯やこだわりなどをお聞きしました。これからという点については、どの様な事を特にお考えですか?
田中社長
そうですね。特にお客さんの、市場の規模が小さくなってきた。その中で着物が好きな方とどうでも良い方と別れてしまっている。皆が着物を必要としているという空気は無いんですよ。一部の本当に着物が好きな方などですね。そういったお客さんをどれだけ満足させきるか。
それとコレクターという方も居らっしゃるんですね。着物収集家というか。
質問
男性女性問わずですか?
田中社長
99パーセント女性です。一部男性も居られますけどね。
一枚買うと、それに合う帯やコートがといった感じだったり。
好きだから着たい、欲しいという方々をうちの呉服で満足してもらえる様にしていかなければならないですよね。愛好家の方との出会いも大切です。
僕らは職業として着物を扱っているので、「一分間で着物を着て」と言われても着る事が出来ます。一般の方はなかなかそこまでは到達しない。だからこそ着物を着て楽しむ感覚がある。
僕らは必ず正月は子供たちも全員揃って除夜の鐘を突いたら全員絹の着物に着替えるんですよ。そして初詣に行きます。今では着物を着た人が少ない。居ても間に合わせ程度の着物という事も多い。こちらはバチッと決めていきます。皆さんガン見ですよ。
質問
自意識を纏うイメージですね。
田中社長
そうですね、正に自意識を纏うんです。女性で言えば、ドレスを着る。例えばお子さんも大きくなられた50代の女性が結婚式に出るからと三越でサン・ローランのドレスを買って、シャネルのバッグを持ってなんてやってもなかなか様にならない。
だけどね、着物は誤魔化せるんですよ。物凄く誤魔化してくれる。その方の姿勢とか生活背景とかを全部カバーします。漏れるところがない、でも洋服は簡単にバレます。
こういう言い方をしたらお客さんに失礼ですよね。でも実際、誤魔化しが効くのは着物なんですよ。体型も誤魔化せる。お腹が出てても誤魔化せる。脚が短いのも誤魔化せる。
日本人の普通の男がレッドカーペットを歩けと言われて、それは俳優さんは格好いいですよ。でも背の小さいお腹が出て禿げたおじさんがとぼとぼタキシード着て歩いていても様になる訳無いですよね。それが羽織袴だったらどうか。侍ですよ。
大事な節目にはやはり着物
質問
興味深いお話です。では着物に興味が無い方々に対してはどうお考えですか?
田中社長
(着物に興味が無い方へのアプローチを)諦めているのかって事ですか?そうではないですよ。若いお嬢さんは、ほとんどはお母さんが買ってくれる、お祖母ちゃんが買ってくれるっていってスタートするんですよ。でも若い方が、お祖母ちゃんの着物とかを一枚二枚着てみて気分が良いから私も身銭を切って着物を買ってみようかしらという事も増えてきています。
質問
少し話がずれますが、成人式だけは絶対に晴れ着を着たいという方も多いですね。そこまでの熱意が一度の機会だけで無くなってしまうのも不思議な事だなと思う事があります。
田中社長
不思議な感じがしますよね。いずれにしてもなんですけども、着物文化ってのは日本人の折々に出てくるものだけになってしまっているんですよ。例えば、おぎゃあと生まれてお宮詣り、七五三、入園式、卒園式、入学式、卒業式、結婚式。そういった風に節目節目でしか着る事が無くなってきましたけど、その節目を外す訳にはいかない。機会が減ったから特別な(重要な)ものになっている。
変身願望がある方も居られますよね。普段は農作業をしておられる方が、さあ孫の結婚式だというと着物を纏って別人になる。そういう意味での変身願望を着物は見事に叶えてくれます。それを味わった方はやっぱり着物だと思うようになると思う。
もの凄く格好良い言い方をすると、我々の仕事はフラワーアレンジメントに近いものがあるのかもしれない。その方を如何に綺麗に見せるかという勝負です。あくまでも経験と勘と自分の我儘でアドバイスをするんですけど、外れていないと自信を持っているんですよ。
例えば成人式の集団の行進とかは勘弁しれくれって思いますよ。殆どレンタルだし似合っていない。でも街中で思わず「うわぁー」って声が出るくらい着物を見事に着こなしている方を見たらガン見しますよね。そんな風に着て貰いたいんですよね。
だからお祖母ちゃんであろうが、若い方であろうが、絶対に綺麗に見える様にしなければなりません。
人間だけは簡易包装にならないように
田中社長
きものでセレモニーに出席することは主催者に花を贈ることと同じなんです。よく皆さんおっしゃるのは「そんなに着飾ってどうするの」とか「気楽に行きましょう」とか聞きますが、ある意味きもので出席することは相手側に対するメッセージでもあるんですよ。
「私はあなたを大切な人だと思っていますよ、」と・・それは主催者に後々まで確実に印象を残します。「私たちのためにわざわざ着物で来てくれた」と・・
その上年齢的なネガティブを包み隠してくれるし着るかたの品格をワンランク、ツーランク格上げしてくれる。まさに着物マジックですね。
気持ちを包んで表現するのがきものだと思います。世の中の流れは簡易包装流行ですがもしあなたがご祝儀や御香典を裸でもらったらどう思いますか?
ありがとうございますと言いながら「そりゃないだろ」となりますよね。品物ならまだしも人間だけは簡易包装にならないよう気を付けて欲しいですね。
質問者
非常に興味深く面白いお話でした。ありがとうございました。
田中社長
こちからこそありがとうございます。
田中呉服店様について
- (株)田中呉服店
- 〒825-0015
- 福岡県田川市伊田町9-23
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