トップページ > 伊豆本店、伊豆社長の取材:門司洋瓦の考える本物
「宗像の伊豆本店」といえば、福岡県内のみならず九州各県で多くの方が知っている有名な酒蔵。
特に「酒蔵開放(酒蔵開き)」は毎年開催を楽しみされている方がとても多く、早い時間から1万人を超える方がいらっしゃる程です。
今回は幸運にも伊豆社長と対面して、伊豆本店と銘酒亀の尾の歩みと歴史について、2時間ほどお話をお聞きする事が出来ました。
本ページでは、撮影させて頂いた写真と共に、伊豆本店さんについてをご案内させて頂きます。
伊豆本店11代目社長の伊豆善也社長。
享保2年(1717年)創業の老舗酒店「亀の尾 伊豆本店」。一度は姿を消した幻の酒米と言われた極上品種「亀の尾」を蘇らせた事でも知られる。
銘酒「亀の尾」そして毎年2月中旬に行われる「酒蔵開き」は多くの方に知られ、福岡県内に留まらずファンが非常に多い。
- タイトルをクリックすると各トピックに移動します。
- 1, 幻の米「亀の尾」が再び陽の目を浴びるまで
- 2, 亀の尾が蘇った後に起こった印象的な出来事について
- 3, 米を作るということ
- 4, 亀の尾サミットについて
- 5,「亀の完成後すぐにその味の評判は広まったのですか?」
- 6,「時間 人手などコストが発生する点について」
- 7, 亀の尾の今後について
- 8, 酒は水と米
- 9,「亀の尾を多くの方に飲んで貰いたいという事について教えてください」
- 10, 生産量の限界と福岡でも流通し始めた東北・信越からの亀の尾について
- 11, 福岡の米の栽培をされている農家さんについて
- 12, 「創業1717年、今年(2013年)からあと4年で総業300周年」
- 13, 酒と食事
- 14, 現代の食生活とお酒について
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- 平成27年7月の酒蔵開放詳細へ (クリックすると画像一覧へスクロールします。)
取材日:平成25年1月17日 伊豆本店内にて
幻の米「亀の尾」が再び陽の目を浴びるまで
伊豆社長
戦時中に他のお米だと10俵作る事が出来るのに、この米(亀の尾)は4俵しか作ることが出来ん。そんな不経済極まるお米は作ってはならんと、それで酒米にも使われなくなった。
そして戦後豊かになってきて、米所新潟の越乃寒梅が非常に知名度を高めっていった中、ある老舗の酒造の家のお嬢さんが亀の尾を復活させて越乃寒梅に挑んではどうかという案を出された。
その後、杜氏さんと共に5年ほどかけて酒を作り始めた。根性のあるお嬢さんですよ。(この話については映画「蔵」のストーリーとも関連している。)
このお米(亀の尾)は非常に育てるのが難しく米でね、生育には平野部よりも山間部が向いてる。また果物の栽培で行われる摘花なども必要であったりと、非常に不経済極まる米なんですよ。そういう米で作らなきゃ美味しい酒は難しい。
亀の尾が蘇った後に起こった印象的な出来事について
伊豆社長
亀の尾が美味しい知られる様になり、東京等の都心部の酒店でも扱われる様になった中、買い占めを目論む人なども現れた。
しかし、偶然にもその話を自分達よりも先に知った都内の酒店の店主は福岡県出身で、この様な話があると親切にも忠告の手紙を頂いてね。
僕も一生懸命亀の尾を作っていたからね。その後実際に起こった買い占めの提案について、
「多くの皆さんに飲んでもらおうと思って作った訳で、あなたに売る為に作った訳ではない」
とはっきりと断った。
米を作るということは本当に大変なこと
伊豆社長
上記の様に完成後も様々なエピソードもあったが、やはりこの酒米「亀の尾」は非常に栽培することが難しく、「亀の尾」に拘るということは、その後も継続的に苦労や困難を伴う選択を余儀なくされることであると痛感しながら今に至るとの事。
伊豆社長が「米を作るのは大変ですよ」と何度も口にされていたのが非常に印象的でした。
左の写真は伊豆本店さんに初めて行く方が目印にされるという「カメノオ」の字が入った味のある煙突。
亀の尾サミットについて
伊豆社長
亀の尾は貯蔵したものが美味い。ところでね、「全国亀の尾サミット」といったものもあった。
この話の中で「亀の尾サミット古川大会」の記事や「幻の酒米亀の尾」と見出しに掲げた記事(35年前の記事)などを見せて頂きました。
(「幻の酒米」とも言われる亀の尾。亀の尾が蘇ったのち、亀の尾で日本酒を作っている酒蔵は複数生まれた。)
右の写真は1999年の第3回古川大会の参加一覧。
(この時に見せて頂いた亀の尾サミットの記事で印象的だったのが、その殆どが東北の酒蔵であること。西日本では伊豆本店[福岡]と四国は愛媛の酒蔵のみでした。)
「亀の尾でお酒を作り始めて、すぐにその味の評判は広まったのですか?」
伊豆社長
広まった。勿論一番良いと判断したものから出した。ただ最初は皆手を付けられなかった。これだけ(値段相応)の価値があるのかと。
そこでより気軽に買ってもらおうと(一升瓶ではなく)4合瓶でも販売を始めた。そうして、亀の尾の味を知った方は手放さなくなったよ。
「時間や人手などコストが発生する点について」
もう兎に角手間なんて考えずに作ったよ。経済的なペースなんてことは考えずにやった。
亀の尾の今後について
伊豆社長
今後、亀の尾がジワジワと色々なところから出てくるのではないかなと私は思う。例えば、(岩田屋など)百貨店に行く時にはどんな種類が、どんな酒が置いてあるかなと思って見に行くんですよ。
百貨店は小売店の様な売れ方はしない。小売店とはまた違って贈答用の為に買いに行くところだと思う。
またね、百貨店が出来た時には必ず頼みに行くよ。博多駅直結のJR博多シティでも出して頂ける様になった。
以前に行ってみた時に亀の尾が見当たらなかったので、店員さんに置いていないのか尋ねてみたら、「このお酒(亀の尾)は有名なお酒ですからね」と言われた。
これは、僕のところ(伊豆本店)の話じゃなくてね。全国で亀の尾というお酒が美味しいと知られているという事だと、それで店員さんも知っていると。
また、東京の百貨店内のお店に入った時に偶然、(店内に居た)おばあちゃんが
「あのう、店員さん亀の尾ありますか?」
と聞いていた。そこで。
「おばあちゃん、亀の尾ってのは何処の亀の尾ですか」
と尋ねたら、
「新潟の亀の尾ですよ。わたしは新潟の者ですけどね、新潟でこの酒買えないんですよ。手に入らないんです。」
と、それで東京に来て新潟に送っているという事でね。
新潟と言えば越乃寒梅が思い浮かぶけど、こういった場面に偶然に出会ったことを考えても、やはり「亀の尾」の味が新潟でも有名になっているのだなと思う。
酒は水と米
伊豆社長
(福岡県と比べて)新潟という場所は、水も綺麗だし良い米が出来るところだし、良い酒が出来るところですよ。東北とか信越とか。やっぱりね、酒は水と米ですよ。それと適した気候であること。
米作りには神経を注がないとならないし、本当に美味しいお酒の為にと考えたら自分達で米を作らんといかん。普通の米以上に手間暇がかかる米はなかなか作ってもらえない。
そういった点においても、やはり米の大規模栽培が出来る広大な土地の一部で希少な米の生育を行う様な事が出来る米処は、こちらよりもやはり有利な点があると思う。
そういった意味でも、気候や地域の特性を理解したうえでこちら(福岡)で米を育て酒を作るという事については、拝む様な気持ちですよ。
「亀の尾を多くの方に飲んで貰いたいという事について教えてください」
伊豆社長
僕はね、亀の尾という米、酒はね。この米が良い味がして良い酒が出来ると思ってこれが生まれたんだと思う。
他に別の意味があって出来たのではないと思う。それで良い米で良い酒だと継承したい。
しかし、安定して良い米を沢山栽培するのは困難だから、宣伝をあんまり先行させる訳にもいかないんですよ。
右の写真は酒蔵内の風景。建物内に柔らかな香りが立ち込めていました。
亀の尾を作る生産量と福岡でも見るようになった様々な亀の尾について
伊豆社長
亀の尾を作るという事はとても大変な事でね。しかし、最近信越方面からの亀の尾で作られた酒を福岡県内でも見る様になってね。
東北や信越から九州は福岡まで流通してくるという事はこれは当然少量ではないだろうと。
僕は自分たちが変な酒を造らないように、100%亀の尾の酒を作ることが目的だけど、それに見合う亀の尾の栽培・収穫がとても難しい。その年によって収穫量も違う。
(伊豆本店が)大量の生産や流通の達成を目標にして維持するとなると、これは秋田などから亀の尾を大量に仕入れる事が必要になる。
そうなると販売価格も高くなる。そういう販売価格にして受け入れられるかという問題もある。
今は幸いにして、亀の尾が美味い酒として受け入れられている。そういうものをずっと作っていかないと。
福岡の米の栽培をされている農家さんについて
伊豆社長
福岡県内の遠賀や岡垣でも良い米を育てなければという純粋な気持ちで米の栽培を小規模で行う方も居らっしゃる。そういった方と巡りあう為の努力も大切にしたい。
実際に米を作られる方との信頼関係が何よりも大切だと思う。
勿論、自分たちもその大切な米は酒造りの為にしか使わない。
右写真は伊豆本店の建物裏側から。
創業300周年が近づいてきた事に関連して
伊豆社長
300周年が随分近付いて来てそれについては考える事が多いですよ。色々な会社で100周年というのは目にするが300周年というのはなかなか無いですからね。
ちなみに300周年の前倒しはちょっと好まないので、もしその時に自分の命がなかったら次の代がやればいいんですからね。
ただ、ホテルで盛大に色んな方を招いてお世辞を言ってもらって酔って帰るというのも違うと思う。
300周年の歩みを知って貰いたいと思う。300年生きてくるにはそれは苦労してきたと思う。
浮き沈みがあって、いい時があって悪い時もあった、貧乏した時もいよいよ辞めようと思った事も勿論ある訳でね。
しかしね、そういった苦労を乗り超えてきた事の中で300周年という事なんだから、僕は蔵の中をおもいっきり開放してしもうて、いい酒を作って振舞おうかと思う。
そうやって多くの人に喜んでもらったほうが価値があると、僕はそう思うよ。
亀の尾を一生懸命作って、それを皆で分かち合った方がいいんじゃないかなと思ってね。ホテルに人を呼んでもせいぜい4~500人ですよ。
お酒と食事について
伊豆社長
お酒というのは嗜好品ですから食べ物・食事にあった飲み物になっているはずです。
大吟醸は匂いを嗅いで楽しんで飲む酒ですけど、普通の吟醸はね、料理を食べながら美味しく飲める酒ですよ。
口に含んでガラガラってやってこれはいい酒だなん等賞だってそんな酒はあんまり流行らん。
だから考えてね、料理を食べながら飲んで、お燗をつけてね。だから品評会が大変だった。ずらっと酒を並べて、お燗をつけて飲む度に料理を食べて、料理が一種類じゃいかんからね。
そんな風にやったら品評会が終わるのに半年間くらいかかった。でも、もうそんな品評会なかなか出来んやろうね。
現代の食生活とお酒について
伊豆社長
昔の日本人は色々な場面で酒(日本酒)を飲んでいた。今は食生活が変わって酒を飲まなくなったでしょう。
やっぱり食べ物によって飲み物も変わってくる。今度はビールだったり、焼酎だったり。また、(酒に合った)食生活へと変わってくればね。
私がね、色んな大きなパーティやらに行ったらね。乾杯はビールと決まってしまってる。
それでね、
「ちょっと待って下さい。今日は酒屋が来ているので乾杯は杯を干すと書くんだからね、それが済んでから焼酎でもビールでも好きなやつをやって下さい」
ということもあった。
そうすると、杯を交わすとなると会話が出来る。ビールだと隣り同士の知ったもので話す。
酒を注ぎに行ったり、「今日はどうですか」と杯を持って話しかけたりする。
色んな場所で
「何処からお見えになりました」
「どなたですか」
とか会話が出来る。
だから酒飲みの悪いのは時間が長くかかる。会話をするから。
そうして会話をするとね、会話をする中で得るものを見つけて帰っていく人も居る。会話をしないで相手の話を聞いてばかりだと、あんまり人間的には繋がりは無いんじゃないかな。
それで僕はね、酒は時間がかかるけど、人間と人間の繋がりを作るなあと。こういう宴会ってのはそういう意味もある。酒が繋げる役割もあるんだから。
だから酒飲みってのは上戸本性って言って、言ったら駄目な事を言うでしょ。(一同笑)
この後、敷地内を案内頂き撮影させて頂きました。お忙しい中、伊豆社長ありがとうございました。
伊豆本店建物外より
歴史を感じる外観。ここからではまだ茅葺きの屋根は見えません。煙突がやはり目立ちます。
伊豆本店カメノオ煙突
外から見える伊豆本店の目印の役割になっている「カメノオ」の味のある雰囲気の煙突。
伊豆本店建物正面より01
茅葺屋根の伊豆本店と酒蔵を正面から。葺いたばかりの頃と比べると随分印象が変わってきたと聞きます。
伊豆本店店頭にて
亀の尾の話を伺った後だと、店頭でもその拘りを改めて感じました。