「松山廃寺」遺跡、国分寺の瓦生産工房跡だった可能性


 かすみがうら市教委は、同市中志筑の「松山廃寺(はいじ)」遺跡が寺院の跡ではなく、奈良時代に常陸国分寺(石岡市)に供給する瓦を成形、乾燥していた生産工房跡だった可能性が高いと発表した。福祉施設の建設に伴う事前発掘調査で分かった。瓦生産工房跡の発見は東日本初といい、国分寺造営のシステムが分かり、史料価値が高いという。(読売新聞より)

これまでは寺跡だと考えられていた「松山廃寺」遺跡で、今年7月に瓦を成形する際に出たとみられる複数の削りくずを発見。すぐ近くに窯の跡が確認されていることなどから、寺ではなく瓦工房の跡の可能性が高まったということです。

奈良時代は西暦710年から794年なので、1200年以上前という途方も無い程の昔からということになります。

あらためて言うまでもなく、屋内・インドアの文化の始まりは雨風を凌ぐ屋根・外壁があって成り立つものです。今でこそ様々な種類の瓦・屋根材がある訳ですが、1200年以上前の奈良時代の瓦工房跡というニュース記事で改めて日本の屋根・瓦の歴史に驚かされます。